心の琴線に触れる豊かな言葉がいっぱい「置かれた場所で咲きなさい」

2012年に第1刷が発行されてから、3年後の11月には第64刷を重ね、180万部という大ベストセラーを記録している「置かれた場所で咲きなさい」。
この本の著者、渡辺和子さんは、現・ノートルダム清心学園理事長であり、カトリックのシスターでもある方。現在85歳の渡辺さんが綴られた言葉には、生きることに疲れた人に贈る、癒しがあふれています。

著者・渡辺和子さん 略歴

1927年2月生まれ。父は教育総監渡辺錠太郎氏。1951年、清心女子大学を経て、1954年上智大学大学院修了。
1956年、ノートルダム修道女会に入り、アメリカに派遣され、ボストンカレッジ大学院にて学ぶ。
1963年、36歳の時、岡山ノートルダム清心女子大学学長に任命される。現在は同大学理事長。

全く未知の土地であった岡山で学長に就任した頃の渡辺さん。

「置かれた場所で咲きなさい」

「置かれた場所で咲きなさい」
このもとの文章は次のような英詩です。

Bloom where God has planted you.

直訳すると、「神があなたを植えたところで咲きなさい」となります。

これを「上から目線だ」と捉える方もあるようですが、けっしてそうではないと私は思います。
けっして今現在置かれた場所から動いてはいけない、そこで何があっても耐え忍ばなければならない、ということではありません。

それは、渡辺さん自身が次のように語っていらっしゃることからわかると思います。

生きている間には「こんなはずじゃなかった」 と言いたくなるようなこと、 想定外のこと、… 期待外れのことがたくさんあります。
そのような状態・立場に置かれた時でも明るく 前向きに生きていく。
つまりそれが、置かれたところで自分しか咲か せることができない花を一生懸命に咲かせるこ とになるのだと思います。

出典: creative-trust.tokyo

咲くということは本当に大変なことだと思います。
しおれている方がよほど楽だと思うときがありますが、 やはり私たちは神様が置いてくださったところ それに 間違いはない。
そこで咲くのだ。 自分で置かれたところを変える時が来るかもしれない。
でも置かれている間はその置かれたところで咲くのだ。
ということを教えていただきました。

出典: creative-trust.tokyo

「置かれた場所で咲きなさい」から特に心に残る言葉

人生にぽっかり開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。

順風満帆な人生などない。

それは病気であったり、大切な人の死であったり、他人とのもめごと、事業の失敗など、穴の大小、深さ、浅さもさまざまです。
その穴を埋めることも大切かもしれませんが、穴が開くまで見えなかったものを、穴から見るということも、生き方として大切なのです。

(中略)

かくて病気(※渡辺さんは50歳の時鬱病を患われました)という人生の穴は、それまで見ることができなかった多くのものを、見せてくれました。
それは、その時まで気付かなかった他人の優しさであり、自分の傲慢さでした。私は、この病によって、以前より優しくなりました。
他人の弱さがわかるようになったのです。
そして、同じ病に苦しむ学生たち、卒業生たちに、「穴から見えてくるものがあるのよ」といえるようにもなったのです。

ふがいない自分と仲よく生きていく

これまで持っていたものを失う。それは悲しいことです。
しかし失ったものばかりを嘆いていても前には進みません。
ふがいない自分としっかり向き合い、そして仲よく生きていくことです。

神は決して、あなたの力に余る試練を与えない

人間は生きていく限り、多くの悩みから逃れることはできません。その悩みは大小さまざま。時が解決してくれるものもあれば、どんどん大きくなっていくものもあるかもしれない。それでも人は生きていかなくてはならない。
絶望の中にも一筋の光を探しながら、明日を生きていかなければなりません。

だから私はノートルダム清心学園の卒業生に、聖書にあるこの言葉を贈るのです。

「神は決して、あなたの力に余る試練を与えない」

いかなる悩みにも、きっと神さまは、試練に耐える力と、逃げ道を備えてくださっている。そう信じています。

現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。

今あなたが抱えているたくさんの悩み。それらを一度整理してみてください。
変えられない現実はどうしようもない。無理に変えようとすれば、心は疲れ果ててしまう。
ならば、その悩みに対する心の持ちようを変えてみること。
そうすることでたとえ悩みは消えなくても、きっと生きる勇気が芽生えるはずですから。

迷うことができるのも、一つの恵み。

迷うことができるのも、一つの恵みです。
ナチスの収容所に送られた人々には、迷うことは許されませんでした。
すべてが命令による強制であり、人は、選択する自由、つまり、迷う自由を剥奪されていたのです。

ー迷った時は、「選択する自由」を与えられたと思ってプラスとマイナスを書き出し、その重みによって決める。ー

まとめ

最後にもうひとつ渡辺さんがおっしゃった印象深いお話しを紹介しておきます。

(※日本から海外留学していたある人の体験談を引いて)
その方にしてみれば自分はタンポポでしかない。
周りを見わたすとバラ カトレア カーネーションの ような人たち。その中で劣等感の塊になっていらした。
でも、考えてみたら確かにタンポポはバラになれない けれども、バラもタンポポになることはできない。
そこで自分は、タンポポはタンポポのままで置かれた ところで咲いていたらいいんだ。
ということにお気づきになりました。 時に人が「きれいな花だ」と誉めてくださることも あれば、くださらないこともあります。
『人 見るもよし 人 見ざるもよし 我は咲くなり』 人の目の前でなく、神の目の前で咲いていたいと思います。
一人一人が 神様が植えられたところで 精一杯に咲きなさい 咲くということは 笑顔で生きるということです。

出典: creative-trust.tokyo

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