ヤン・シュヴァンクマイエルのおすすめ作品・短編

芸術分野を彩る様々なアーティストの中から、異常なほどの映像センスを持ったシュルレアリスト、ヤン・シュヴァンクマイエルをご紹介!食べ物や食事シーンをまずそうに描写し、教訓や主張を「シュール」という名のオブラートに包む彼の作品は、食に例えればまさに珍味!噛めば噛むほど味が出て、何度でも見たくなる…こともある。さて、どの作品をチョイスしたものか?何せいずれ劣らぬ傑作ぞろいですから。

キモカワ人形の仁義なき戦い『棺の家』(1966年)

「そのモルモット売って」「いいよ。でもそんな値段じゃ売れないな」…交渉決裂から始まる金の奪い合いと殺し合い…なのに何故かかわいく感じる不思議な一作です。BGMや効果音がコミカルなせいでしょうか。人形は気持ち悪いし、やってることは殺伐としていますが。しかしだんだんかわいく見えてくるという不思議。

コワカワイイアニメ三部作『エトセトラ』(1966年)

顔はない分ポーズで語る?

椅子から椅子へ飛び移るため、徐々に大きな翼を装着していく『翼』、調教した動物に、仕込んだ芸をさせる内次第に変化し立場が入れ替わる『鞭』、自分が描いた家に出入りできない『鉛筆』の三部作です。いずれも不安をあおるBGMや動きなのに、何だかかわいく思えなくもない。特に『翼』。翼なしで飛び移ったときのドヤ顔的ポージングがたまりません。顔ないけど。『鞭』は動物がかわいいです。途中から藝の内容より変化の方に気が行っちゃいます。『鉛筆』は「意地でもドア描くもんかー!」という心意気さえ感じます。

扉の向こうは奇々怪々…『家での静かな一週間』(1969年)

とあるアパート風の建物。双眼鏡で確認したり、何だかスパイのような印象の男。目的の建物内部へ入り、一日に一室ドアに穴を開け内部を覗く、というストーリー。室内は「静か」で、何があろうと物音一つしません。そして、7日目。男は覗き穴にダイナマイトを射し込んで…。何だか「税」や「国外援助」などというフレーズが頭に浮かんでしまいます。「この光景はきっと、あれの象徴だな…」なんて考えてみたり。それにしても主役のオジサン、扉一枚隔てた向こう側で怪奇現象が起きているのに、廊下で眠れるとは大した度胸の持ち主です。彼が象徴しているものは…よしましょう、野暮な詮索は。

怖い、でもかわいい『ジャバウォッキー』(1971年)

よく分からない光景が延々と続く中、『ジャバウォッキー』が朗読されます。声の主はシュヴァンウマイエル氏の娘さんだそうですが、所々むせたりつっかえたりするのが何だかかわいいです。セーラー服とズボンが勝手に踊ったかと思えば、リンゴが落ちて腐って蛆が湧いたりと、シュヴァンクマイエル節が絶好調です。主人公(?)はセーラー服。どうも、子供の人形遊び、という設定らしいですが、どっこい色々風刺が盛り込まれているんだろうなあと勘繰ってしまいます。

粘土人形、立つ…までにいろいろある『闇・光・闇』(1989年)

暗かった部屋に明かりが灯り、粘土で出来た手やら耳やら足やらが、部屋にやってくる…のですが、部屋に入ってきた足に頭部がはさまれたりと前途多難な印象です。「誕生から死までを描いているのかな」なんて思いました。脳やら舌やらもやってくるのですが、これは「知能の発達」と「味覚を覚える」ということなのか、と。

珍しくおいしそう?『フード』(1992年)

説明文に記したとおり、氏の作品では食事や食べ物は食欲をそそるようなものとして描かれていません。ですが、この作品は違いました。「おいしそう」に感じました。「朝食」「昼食」「夕食」の三部構成で、「朝食」では「食事」を得るため、オジサンたちが奮闘をし、「昼食」ではレストランで相席になった品のいい男性とそうでない男性が、空腹に耐えかねてテーブルに飾られた花やら花瓶やら、自分の服まで食べていく、という話です。食べ方の違いが立場を現しているようで、面白いです。夕食は、自分の手だの靴をはいた足だのを料理するという話。自分のコンプレックスの消化、ということでしょうか。

映像に託されたメッセージ

シュヴァンクマイエル作品には、不快な表現も多々あります。ですが、だからこそ訴えるものがあるのではないでしょうか?気持ち悪いのに、何だか心地いい。ひとしきり映像を楽しんだら、今度は意味を考えてみるのも、楽しみの一つ。

えどまち
えどまち
@edono78

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