仏教長老として、様々な人に仏教の教えを説いているアルボムッレ・スマナサーラさんによれば、怒りの根源には「エゴ・無知・汚れ」そして「自らが正しい、という思い込み」があるのだそう。
誰かから負かされた、悪く言われたというネガティブな記憶は怒りや苛立ちを呼ぶことにつながりますが、それが誰の目にも明確な事実なのか、それとも主観的な「思い込み」なのか、ひとりで判断するのは難しいかもしれません。
自分本位な思い込みは幸せを妨げるとして、アルボムッレ・スマナサーラさんは快く思わないようです。
『怒らないこと』の中では、お釈迦様な言葉を借り「自分の心を、ひびが一つ入った鐘と思いなさい」という逸話が登場します。
怒りを周囲へ響く「鐘の音」に例えたこの言葉は、完全な形を保った鐘と欠けた部分のある鐘とを比較しています。
欠けたところのない、完璧な鐘は少し触れただけで大きな音を鳴らします。
しかしひびの入った鐘は叩いても音がしません。
つまり「悪いところのある人(そしてそれを自覚している人)は、少し気に入らないことがあったとしても大きな声で自分の苛立ちを撒き散らしたりはしない」と語っているのです。
心身の健康を保つためにはよく「ストレス解消」が薦められますが、アルボムッレ・スマナサーラさんによれば怒りを発散する必要はないそう。
むしろストレスを解消してしまうと、「自分はどんなことで、何故苛立っていたのか」を忘れてしまうため同じことを繰り返してしまう危険があるようです。
怒らない人になるには、怒りが湧いたとき自分自身が苛立っていることをよく見つめ、自分自身と向き合うことが大切。
とは言え「こうすることが自分と向き合うこと!」と一言で言えないのが難しいところです。
アルボムッレ・スマナサーラさんの言葉に耳を傾け、自分なりの仏教解釈をしてみるのもいいかも?