闇を描き、テーマと命題を浮き彫りにした「カラヴァッジョ」
カラヴァッジョ:ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571年9月28日〜1610年7月18日)は、バロック期のイタリア人画家。1593年から1610年にかけて、ローマ、ナポリ、マルタ、シチリアで活動し、カラヴァッジョという通称で広く知られている。その作品に見られる肉体面、精神面ともに人間本来の姿を写実的に描く手法と、光と陰の印象的な表現はバロック絵画の形成に大きな影響を与えた。
カラヴァッジョの絵はその多くが“闇”に彩られている。目に映るすべての万物は、みな光に照らされてその姿を現している。闇に目をこらすとそこにスポットライトのような光が当てられて、それまで眠っていたそこにある人や物が浮き彫りにされる。そんな印象を感じさせるカラヴァッジョの絵ですが、その制作風景を美術を追究する歯組で採り上げているところを観たことがあって、何か背筋が寒くなるような感動を覚えたことがあります。
つまりまず、わざわざアトリエの中に“闇”を創りだしてから絵の制作に入っていたらしいと解説されたときに、「無から有を産む」。これがカラヴァッジョのコンセプトというか基本スタンスになっていたのではないかという印象というか衝撃を感じたのです。
自然の理を絵に描くことは、何もない“無”から“有”を産み出すことが出来る唯一の存在、やはり「神」ということになり、カラヴァッジョはその快感というか満足感に浸りながら作品を作り続けていたのかも知れないと思うと、少々軽くなってしまいますが、現代で様々な分野でモノ創りをしている人のことを“クリエイター”と呼びますがクリエイターと呼べるのは本来は万物を創りだしたとされる「神」だけがその名にふさわしいのであり、カラヴァッジョは秘かに自分を神のような絵描きと自負していたのではないかと思ったりもしました。
後にバロック絵画の形成に多大な影響を及ばしたこの画家の作品は、大変リアルで息を呑むほどの作品ばかりで、画面の中で生きているように見えるのは、創造主的な感性を持つカラヴァッジョならではのものかも知れません。
当時、若くして一流の画家として大成していたにも関わらず、その素行は非常に悪く、いかにも天才と呼ばれる人にありがちな偏りを激しく示していて、数々の乱闘騒ぎの末に38歳の若さで熱病に掛かった挙げ句に亡くなってしまいました。画家としての評価は非常に高かったのですが、彼の死後まもなくその名前と作品は忘れ去られてしまうといった歴史を刻むことになります。しかし300年以上もの時を経て20世紀になってから、カラヴァッジョの西洋絵画に与えた役割が再評価されるに至いたっています。近年『カラヴァッジョ 天才画家の光と影』という映画も公開されています。真価を持つ芸術はその輝きを再び放つことになるのですね。