日本が世界に誇る金工家、正阿弥勝義の超絶技巧
正阿弥 勝義(しょうあみ かつよし、1832年4月28日~1908年12月19日)は、明治時代に活躍した金工家。彼の打ち出す彫金の工芸品は、日本のみならず明治政府の威信をかけたウィーン万博で世界の人々の度肝を抜くまでに至りました。
もともと正阿弥家は代々藩主の注文で刀装具を作っていたのですが、明治維新後の廃藩置県で岡山藩との雇用関係が途絶え、生活の保障がなくなると同時に廃刀令によって刀装具の仕事もなくなってしまい、それまで受け継がれてきた伝統の彫金技巧の職は廃業の憂き目にさらされてしまいかけたのでした。
勝義は同業の彫金師たちが廃業していく中、花瓶・香炉などの室内装飾品や彫像・茶器などの美術工芸品作りに切り替え、なんとかその技術を活かした仕事で生計を立てていきました。
現代、正阿弥勝義の残した数々の絶品作品を観るにつけ正に“超絶技巧”で、とても人間業とは思えないといった感動を得ることが出来ます。凄さの傍らに“粋”や“洒落”があり、それが更に超絶技巧に輪を掛けている感じがします。
ウィーン万博でのジャポニズムブームが正阿弥勝義の作品が海外に渡るきっかけとなり、刀装具の職人は超一流の技を新たな世界に花開かせて順調に進むかと思われたのですが、時代の趨勢は大量生産の安価な商品の流通を選ぶこととなって、次第に日本の“超絶技巧”は歴史の闇に隠れていきました。
21世紀の現代、封印され歴史の闇の中にあった正阿弥勝義の“超絶技巧”は100年の時の経過を待っていたかのように日本の誇りとして再び光と輝きを蘇らせています。