印象派に魁けて光と大気を追求したターナー
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner、1775年4月23日~1851年12月19日)22〜23歳頃の自画像
時代の先駆者は多くの場合過酷な人生を強いられがちだと思っているのですが、ターナーは若くしてイギリスのロイヤル・アカデミーの正会員になっていたり、その後少なくとも20年間は有力なパトロンに恵まれて画家として安定した順調な半生を送っています。
ターナーの作風は画家人生において5回から7回の転換期を持っていて、初期の写実的な画風から急に形の曖昧さが目立つ画風や抽象的な画風へと、まるで何かを求めて彷徨っているかのような動きを示して、静から動へと、暗がりから光の世界へと変遷していきます。
代表的な作品に1838年作の『解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号』という作品がありますが、中学生の時、美術の時間に初めてこの作品を見せてもらった時の印象は「描かれた絵であるのに何故夕日が輝いて見えるのだろう?」でした。
ターナーのこれらの作品は30年後の印象派の絵を彷彿とさせ、後の印象派の多くの人々に多大な影響を及ぼしました。