【話題先攻?】今話題の小説、又吉直樹『火花』。その中身は?

知名度と売り上げだけ取りざたされている『火花』だが、その中身は果たして本当に芥川賞を取り得る程のものなのだろうか?

芸人作家としての知名度先攻?

始めにこの小説の概要を見て行こう。
言わずもがな著者はお笑い芸人である又吉直樹、初出は『文學界』2015年2月号。
発行日は2015年3月11日。そしてご存知の通り第28回三島由紀夫賞候補作、第153回芥川賞受賞作である。
出版前からお笑い芸人が書いた純文学という事で話題が先攻し、発売当初から増版を重ねる事となった。

あらすじ…売れない芸人・徳永は、熱海の花火大会で、先輩芸人・神谷と電撃的な出会いを果たす。徳永は神谷の弟子になることを志願すると、「俺の伝記を書く」という条件で受け入れられた。奇想の天才でありながら、人間味に溢れる神谷に徳永は惹かれていき、神谷もまた徳永に心を開き、神谷は徳永に笑いの哲学を伝授しようとする

その内容は?

内容だが、まさに賛否両論である。
ある読者は言う、「純文学として非常に完成度が高く、芥川賞受賞も伊達ではない」と。
そして別の読者はこうも言う、「純文学に憧れた素人レベル、表現力に乏しい、最後まで読む価値はない」と。
一体どれが本当なのだろうか。
中身について具体的に言及していこう。あらすじにもある通り、主人公は僕(徳永)として語られ、先輩芸人との関係性が物語の主眼である。
冒頭は文学調で始まり、表現としても多少無骨だが純文学レベルを満たした文体だと思われる。(これを稚拙な表現と酷評する人たちは、それこそ文豪レベルの文でないと満足できないのであろう)
途中、砕けた文体になったと思えば急に文学テイストを含んだ表現に様変わりする事もある、文体に一貫性がないと言えばそれまでだが、読み物として最も重要なのは中身であり表現力ではないのだろうか?(文体を含めて純文学という括りであるのは重々承知である)

そして肝心の物語の中身だが。
純文学という事もあり特段(大衆小説のような)大きな事件などは起きない、首尾一貫して感情の機微を表現しているのである。
恐らくここが読者の評価を分けるポイントなのであろう。
我々が日常的に目にする小説は殆どが大衆小説であり、奇抜なキャラ、突飛なストーリー、ラストのどんでん返しなど読者を飽きさせない工夫が施されている。
しかし、今一度思い返して欲しい。この小説は何度も言った通り純文学なのだ。
そしてその敷居は他の小説と比べても高い、という事。
読者を選ぶ、とまではいかないがこの小説に評価を下す前に、もっと純文学を知る必要があるのではないか。

Shirou
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@Shirou

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