ジャン=ミシェル・バスキア ニューヨーク・ブルックリン生まれのアーティスト
バスキアはニューヨークはブルックリン生まれの画家です。27才の短い生涯の中でグラフィティ・アートをモチーフにした作品などを生み出しました。その生涯は映画にもなっています。
Jean-Michel Basquiat
1960年12月22日 にニューヨーク・ブルックリンに生まれる。
ハイチ系アメリカ人。
プエルトリコ系移民の母親とハイチ系移民の父親の間に生まれ、幼い頃から絵を描き、芸術的な活動をすることを母から勧められていた。
1960年12月22日、ニューヨーク州ブルックリンの中流家庭に生まれた。公認会計士の父はハイチ出身、母はプエルトリコ出身。母は幼い息子をニューヨークの美術館によく連れて行った。7歳のとき、車にはねられ入院、脾臓を摘出。入院中に母が贈った『グレイの解剖書』の図版はその後の作品の重要なモチーフとなる。その年両親が離婚、バスキアは二人の妹とともに父親に引き取られる。
17才の時に友人とインチキ宗教を生業とする、架空のキャラクター<SAMO>を創り出し、ダウンタウンで署名入りの詩的な落書きをして知られるようになる。その後、ハイスクールを中退、家を出てその日暮らし、手作りの絵葉書や、Tシャツを売ってお金を稼ぐ。やがて、マッド・クラブやクラブ57の常連となり、バンド<グレイ>の活動を経て、大規模なグループ展「タイムズ・スクエア・ショウ」に参加。
美術界に足を踏み入れたバスキアは、画商、ギャラリスト、評論家そしてアンディ・ウォーホルらに認められ、絶大な人気と不滅の栄誉を確実なものとする。ウォーホルの死後、ドラッグの量が増え、奇行や妄想壁が目立つように。88年8月12日、薬物の過剰摂取により死亡、享年27歳。
短い生涯は映画になりました
バスキアのすべて
2010年サンダンス映画祭 ドキュメンタリー部門正式出品
冒頭でインタビューを受けているのは、25歳当時のバスキア本人である。すでにアーティストとしての才能を認められ、スターの座にのぼりつめていた。とてもリラックスした雰囲気で話し、その充実した表情と、時折見せる笑顔が愛らしいバスキア。しかし、彼はわずか2年後に、この世から去ることになる─。
本作は、バスキアの友人であったタムラ・デイビス監督が、20年以上も引き出しにしまい込んでいた、バスキア本人へのインタビュー映像を軸に、バスキアと深く関わりのあった人物たちに話を聞きながら、80年代に一躍時代の寵児となったバスキアの素顔に迫るドキュメンタリー映画だ。
『バスキア』(Basquiat)は、27歳で亡くなったアーティスト、ジャン=ミシェル・バスキアの伝記映画。1996年制作、監督はジュリアン・シュナーベル。ベニチオ・デル・トロはこの作品でインディペンデント・スピリット賞の助演男優賞を受賞した。バスキアと以前バンドを組んでいたヴィンセント・ギャロがカメオ出演している。
出典: ja.wikipedia.org
全てにおいてセンスの良さが感じられるバスキア、今回は少しだけですが作品を見て頂きました。
ニューヨークという街が生んだアーティストとっても過言ではないクールさが素晴らしいですね。