「麗子像」は、画家の岸田劉生(きしだりゅうせい1891-1929)が、娘の麗子が
小さな頃から16歳くらいまでを描いた絵70点ほどのコレクションから成っています。
岸田劉生の父親は有名なジャーナリスト兼実業家。弟は宝塚の劇作家という
芸術一家でした。
──さて、《麗子像》である。ただならぬインパクトを持つ女性像として、教科書などで目にして以来、脳裏に焼き付いて離れない、という方も多いだろう。もしかすると、近代以降の日本絵画ではもっともよく知られたイメージかもしれない。だが実は《麗子像》にもいろいろあって、父である岸田劉生は、麗子が生まれて間もない頃から15歳になるまで、油彩、水彩、水墨など、現存するだけでも50点の《麗子像》を描いたとされる。そのどれを見たにせよ、《麗子像》と聞き、あるいはそう名付けられた作品を観ると「ああ、あの」と、誰の胸にも複雑な感慨を抱かせてしまうのが、この作品の底力──というものなのだろう。
麗子が16歳の頃、父親の岸田劉生が亡くなり、「麗子像」シリーズは
絶筆になりました。しかし、麗子は父親が亡くなって以降自らも筆を取り、
画家としての道を歩んでゆきます。
では実際の麗子さんはどういう人だったのか、写真を見てみると…
普通に可愛い女の子です。劉生にはいったい何が見えていたのでしょうか。
大人になった岸田麗子さん。普通にキレイなかたです;;
父親のあとをついで画家になり、48歳で急逝。娘の岸田夏子も
画家になりました。
劉生にとって、愛娘をデフォルメしていびつに描くことは決して
貶めることではなく、「可愛い娘の魅力が本当に分かるのは自分だけ!」という
親の独占欲と欲目から来ているもののような気がします。