サンジェルマン伯爵の謎について検証!タイムトラベラーや不老不死説のある人物

タイムトラベラーや不老不死説が囁かれる人物・サンジェルマン伯爵についてまとめました。スペイン王妃マリー=アンヌ・ド・ヌブールと、貴族メルガル伯爵の私生児といわれている彼ですが、様々な時代で目撃されている人物として有名です。ルイ15世の証言をはじめ、サンジェルマン伯爵にまつわる様々な逸話を紹介しつつ、彼の謎について検証していきます。

サンジェルマン伯爵とは

スペイン王妃マリー=アンヌ・ド・ヌブール と貴族メルガル伯爵 の私生児といわれている。

その人生を通じて享受していた経済的な安泰や高度の教育・教養はこの出自によるものが大きいと考えられる。教養についていえば、同時代人には、化学に限らず様々な分野の知識が豊富で、巧みな音楽家であり、優れた画才を示したことが評価されている。

しかし彼の前半生は不明な点がきわめて多く、その正体が明確になるのはフランス社交界で活躍する1758年以降、彼が67歳になってからである。しかしこの年齢が正しいのかどうかも不明で、社交界で活躍していた時期の彼は40代以前にしか見えなかったという。

出典: ja.wikipedia.org

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彼の異名

『不老不死の超人』『不老不死の秘術を知る錬金術師』『時空を旅するタイムトラベラー』などの異名を持つ。

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ジェルジ伯爵夫人の話

この時の証人はいくらもいるが、フランスの貴婦人ジェルジ伯爵夫人もそのうちの1人であった。彼女は作曲家ラモーと同じ年の1710年に、ベネチアでたしかにサン・ジェルマン伯爵に会ったと証言した。
「そのときあの方は、45歳から50歳の間ぐらいでした。サン・ジェルマン伯爵にちがいありません。」

それから40年ほども後に、パリのポンパドール公爵夫人のパーティーで、再びサン・ジェルマン伯爵に会って、彼女は腰を抜かすほど驚いたという。同じ人間が、少しも年をとらないで、再び目の前に姿を現したからだ。

「まあ、あなたは私がベネチアにいたころお会いした方にそっくりですわ。でも、もう40年も前のこと……。人違いかしら?」

サン・ジェルマン伯爵は彼女にこう答えたそうである。
「奥様、私は確かに40年ほど前にベネチアでお目にかかった、あのサン・ジェルマンですよ。誓って本当です。あなたは当時まだうら若く、ご主人はイタリア大使であられましたね。」

「ええ。しかしその方は、確か、今のあなたと同じぐらいの年齢に見えましたけど……」

「私は変わらないように見えるでしょうが、実は非常に年をとっているのです……」
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ルイ15世の話

1748年、フランスに在住しているオーストリア大使が、国王であるルイ15世に、
「サン・ジェルマン伯爵という奇妙な人物がフランスに来ておりますので、一度お会いになったらいかがでしょう。」と話を持ちかけた。

退屈をしていたルイ15世は「何かね、その人物は。」と、興味を示した様子だ。
「どういった男なのかは私にも分かりません。ただ、その知識は膨大なもので、錬金術(れんきんじゅつ = 他の金属を「金」に変える術)や、化学に関しては並ぶ者がなく、不老不死の薬まで作っており、途方もない大金持ちらしいのです。」
ルイ15世は勧められるがままに、サン・ジェルマン伯爵と会うことになった。

そして当日、ルイ15世の前に現れたサン・ジェルマン伯爵は、歳のころは40代くらい、きちんとした身なりをして、話し方も紳士的であった。

伯爵はルイ15世に頭を下げると、ポケットから何かを取り出し、ばらばらとテーブルの上に置いた。見るとそれらはすべてダイヤモンドだった。
「これは陛下への贈り物です。どうぞ受け取って下さい。」
「このダイヤは? こんな見事なものをどこで手に入れたのだ?」
「買ったものではありません。これらは私が作ったものです。」
伯爵はあっさりと言い放った。

このダイヤモンドの一件がきっかけとなって、サン・ジェルマン伯爵はパリのあちこちの社交界で話題に昇るようになった。伯爵自身も、いろんなパーティに出席しては貴族たち相手に不思議な話をする。

ある時はイギリスの中世の国王リチャードのことを話し始め、彼と一緒に十字軍に参加した時(第三回十字軍 = 1189 ~ 92年)のことを懐かしそうに語った。
聞いている人が疑っているような顔をすると、伯爵は自分の使用人を振り返り、
「君も覚えているよね、あの時のこと。私の話が本当だというこを説明してあげなさい。」

と言うと使用人は、
「それは無理でございますよ。私はまだ伯爵にお仕えしてから500年(300年や100年の説も有り)しかたってないのですから。」
「ああ…、そうだったね。あれは君が来る前の話だった。」
などという会話をする。
http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/kaiki/94sunjelman.htm

出典: www.jbook.co.jp

様々な逸話

◆彼は右手と左手が同じように使え、両方の手で別々に文字を書いて重ねると、ピッタリ合った。

◆たいへんなダイヤモンドの蒐集家で、指輪はもちろんのこと、鎖つき腕時計や嗅ぎ煙草入れ、靴の留め金にさえダイヤモンドをつけていた。

◆亜麻糸を使って絹のような布を織る工場をベニスにもっていた。その技術は彼が開発したもので、そこでは100人ほどの労働者が働いていた。

◆世にも稀な才能をもつ画家で、宝石のもつ輝きをカンバスに描く能力においては定評があった。驚くほど明るい色を出すことができたが、それは絵具に真珠を混ぜたためだといわれている。

◆いつも40~50歳に見えたがシワはまったくなく、肉体の衰えも感じさせなかった。その態度は気品があり、威厳もあったがそれは人を畏れさせるものではなく、思わずかしずいてしまうといったタイプのものであった。礼儀正しく、洗練された人物であった。

◆人から何かを尋ねられる前に、相手の質問を見ぬく力をもっていた。またテレパシーによって、遠い街や国で自分が必要とされているときは、それを感知することができた。

◆東洋の秘教の原理に完全に精通していて、瞑想と集中を実践しており、数回にわたってヒンドゥー教徒のような姿勢で座禅を組んだ。あるいは、ヒマラヤ山脈の中心に隠遁所をもっていて、ときおり世間を離れてそこで暮らした。インドには修行のため85年間とどまっていた。
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hsg/_st_germain.html

この驚嘆すべき人物には尋ねられる前から審問者の質問をこの上なく詳細に見抜く力もあった。テレパシーのようなものにより遠い都市や国家で自分が必要とされる時を感知することもできたし、扉を利用せずに、自室や友人の部屋に姿を現わすだけでなく、そこから同じようにして出て行くという驚くべき習慣もあった。』

出典: blog.goo.ne.jp

小柄だが整った容姿、穏やかな物腰、洗練された会話、膨大な知識。
フランス語はもちろんのこと、英語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、ポルトガル語、ヘブライ語、ペルシア語、アラビア語、サンスクリット語、中国語を話せ、楽器を弾いても絵を描いても玄人はだしだったというから驚きだ。

更に、彼はとんでもないことを言っていた。
アレクサンダー大王がバビロンの都に入場するとき自分もその場にいたとか、まるで見てきたように語ったのだ。
「カラス麦と水薬しか食べない」というので使用人にたずねれば、「まだ300年しか伯爵を知らない」と言う始末。
また、彼の実験室に招かれたカサノヴァが、言われるまま銅貨を盤の上に置くと、炎が上がって金貨に変わったという。
そして、再三の警告に耳を貸さないルイ16世とマリー・アントワネットに二人の運命を予言したり、当時は存在しなかった汽車や飛行機のことを詳しく語ったと言われている。
フランスの貴婦人は40年ぶりに彼に会ったとき、以前と変わらぬ姿に驚いている。
1987年、彼が西ドイツで死んだとされてからも、彼を見たという人が後を絶たない。

出典: www.kdn.gr.jp

又、エリクシールと言う特殊な水を飲んでいるから死なないと言ったこともあったそうです

出典: rikanet2.jst.go.jp

死んでも生き返る伯爵

不思議なのは、不老不死であるサン・ジェルマン伯爵がある記録では1784年にドイツで死んだとされていることだ。
1775年に一度フランスへ戻った彼は、ルイ16世とマリー・アントアネットに会ってある忠告をした。1789年のフランス革命で王権が打倒されたことからもわかるように、当時のフランス王権は放っておけば滅びる運命にあったからだ。だが、彼の説得は不成功に終わった。そればかりか、危うく逮捕されて、牢獄に閉じ込められるような危地に追い込まれた。
彼はドイツへと逃れ、カッセル伯爵邸で錬金術の研究をして暮らすようになった。そして、1784年、この屋敷の一室で急死したというのである。死因はリュウマチとうつ病だったという説もある。
しかし、この話そのものがどの程度確実なのかはっきりしない。というのも、サン・ジェルマン伯爵はこの後も何度となく人々の前に姿を現したことがあるからだ。
1789年7月14日にバスティーユの牢獄が占領された後、マリー・アントアネットはある匿名の手紙を受け取ったが、そこにはサン・ジェルマン伯爵の言葉としか思えないような、最後の忠告が記されていたという。

彼は革命中、パリのあちこちに現われたが、なかでもギロチンのあったクレーブ広場には頻繁に現われたという。
19世紀になってからさえ、サン・ジェルマン伯爵を目撃したという証言は後を絶たなかったのである。
http://flamboyant.jp/alchemy/alch12/alchemy012.html

消失した伯爵の足跡

カルボナリ党に入党したナポレオン3世はサンジェルマンに関心を抱き、彼に関係する書類等をテュイルリー宮殿に集めるように警察に命じた。この時の資料は1871年に同宮殿を襲った火災によって消失し、サンジェルマンの足跡のほとんどがこの時に失われたといわれている。

出典: ja.wikipedia.org

サンジェルマン伯爵は何者だったのか?

一説によれば、サン・ジェルマン伯爵はフリードリッヒ2世の密命を帯びてフランスに送り込まれたスパイであり、フランス宮廷に入り込んで、秘密の政治工作をしていたのだという。彼はしばしばヨーロッパ各地へ旅していたが、それはすべて政治工作のためだったというのである。
別な説によれば、彼は秘密結社・薔薇十字団の会員で、やはり密命を帯びて各地で政治工作をしていたのだといわれる。薔薇十字団はきわめて錬金術的な自然哲学を持った秘密結社なので、これは大いにありそうなことだ

出典: flamboyant.jp

特殊なテロメアを持っていた?

スコットランドの生物学者の学説。動物の細胞には遺伝子が存在する。それが細胞分裂する際に、
その両端のテロメアという部分が短くなり、やがてなくなると分裂は止まる。これが、老いである。
しかし、リング状の遺伝子であればそれが短くなる事は無く、生殖は出来ないが理論上不死である。
彼によれば、確率からそんな人間が今までに5人は生まれているという。

出典: yoshizokitan.blog.shinobi.jp

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