王様ガン見の名誉「宮廷画家」
宮廷画家についてゴヤとルーベンスの二人に絞って紹介しています。奥深い宮廷画家その世界が少しでも理解できる内容と思います。それでは一緒に王様ガン見の気分に浸ってみましょう。
宮廷画家とは
宮廷画家(きゅうていがか)は、王侯貴族の依頼に応じて作品を制作する芸術家。雇い主たる王侯貴族から固定給を受けていることが多く、雇い主以外からの美術品制作依頼を受けることが制限されている場合もあった。
出典: ja.wikipedia.org
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名前をよく見る宮廷画家ゴヤについて
ゴヤは1746年、スペイン北東部サラゴサ近郊のフエンデトードス(Fuendetodos, 当初はFuentedetodos フエンテデトードスと呼ばれていた。la fuente de todos“総ての者の泉”という意味)に生まれる。父親は鍍金師であり、芸術を愛好する気風の中で育った。
出典: ja.wikipedia.org
父親が鍍金師と言うのが面白いです。但し
細工物には古くから鍍金(メッキ)技術が使われていた。 メッキは昔からの「大内鍍金」といわれる金箔をひとつひとつ浮きあがらせるようなメッキ秘法が 珍重されていた。また「金銀張分」「文銭鍍金」「きせるメッキ」といったものもあった。 そしてこれらの技法は、1,200 年前の「金銅鍍金仏像」以来、錺細工師たちによって伝承されていた。
このころ錺師、打物師、鍍金師といわれるものは江戸職人の花形であったと想像される。
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私も最初勘違いしていましたが”錬金師”ではありません。そう言う昔ながらの職人です。
その写実的な作風が当時飽食気味であったロココ美術に変わるものとして支持を受け、1786年国王付の画家、1786年、新国王になったばかりのカルロス4世の任命から宮廷画家となる
ゴヤの肖像画コレクション
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なんだか少し怖い気がするのは私だけでしょうか?
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しかし美人なら美人できちんと描くようです。
ゴヤは宮廷画家という名誉の絶頂にいながら、権力を批判する絵画を描いていた。彼にとって絵筆は、人間の本質を見つめる目であり、悪を暴く武器なのだ。ある日突然、イネスが、ロレンソが指揮する異端審問所に囚われる。彼女を救おうとしたゴヤが見た、驚くべき“真実”とはー?
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ゴヤもベラスケスと同様に宮廷画家に上り詰めますが、24歳の若さで宮廷画家になったベラスケスに対して、43歳でようやく宮廷画家の地位を手に入れたゴヤ。人間性でも、出世欲、金銭欲、自己顕示欲の強かったゴヤはあまりに人間的な面が見える画家です。
宮廷画家だからと言って、王様達を喜ばせるだけではないようです。
またゴヤは宮廷画家としては遅咲きのようです。ベラスケスと言う早くでブレイクした方を見てましょう。
ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez, 1599年6月6日(洗礼日) - 1660年8月6日)はバロック期のスペインの画家。マネが「画家の中の画家」と呼んだベラスケスは、スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表する巨匠である
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威厳をしっかり伝えるために構図に重点をおいてる感じがします。
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こちらの幼女も同じ感じのようです。
まだ写真のなかった時代のヨーロッパでは、王女たちはごく幼いころから絵のモデルになっていた。今日なお彼女たちの美しさ、かわいさや、人となりや生活ぶりを思いうかべられるというのも、肖像画が残っているからこそである。
優れた肖像画であればなおさらだ。写真もおよばぬさまざまな情報、時代環境の暗示や、ときにはその後の運命の予見をさえ、絵のなかに読みとることができる。
出典: www.nhkso.or.jp
昔の白黒写真と違いこちらはカラーですから分かる人が見たらより、着ている物が明確に高級とか分かるかもしれません。
今回取り上げたのはゴヤとルーベンスだけでしたが二人だけを見ても主義・主張がはっきりと違うのがお分かり頂けたと思います。画家と言うと生前は売れないイメージがありますが宮廷画家なら別、生で王族達の姿をじっと見ながら描くと言う名誉が与えられます。