【閲覧注意】江戸時代の解剖図

日本の医学は世界でも最先端といわれていますが、その始まりは江戸時代からありました。1774年に杉田玄白がオランダの医学書「解体新書」を翻訳したことで、日本中の医師たちに人体の構造が伝わったのです。それまでは、人間の体を解剖して内臓の仕組みを見ることができるのは、ごく限られた人たちだけでした。江戸時代に描かれた人体解剖図を集めてみました。

江戸時代の人体解剖「腑分け」

腑分け(ふわけ)とは解剖のことです。江戸時代、
解剖されるのは処刑された犯罪者の遺体のみと
決められていました。
腑分けは処刑場である小塚原で行われました。
罪人の遺体に一般人が触れることは禁止されていたため、
特別に許可された処刑人が遺体を腑分けし、医師たちが
観察して絵師が遺体の絵を詳細にスケッチしました。

オランダ語の医学書「ターヘルアナトミア」を翻訳した
「解体新書」の一部。

近代日本画家・前田青邨の描いた「腑分」

小石元俊「平次郎臓図」
蘭学者の小石元俊は杉田玄白とも交流がありました。

「施薬院解男体図」(1798年)

1800年、女性死刑囚の解剖図

南小柿寧一による、顔や頭部の解剖図

解剖というと残酷に思えるかもしれませんが、
医学の発展には必要なことでした。
1809年には、華岡青洲が世界初の全身麻酔による
乳がんの手術に成功しています。

とんとん
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@tonton

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