独学の挑戦!!目指せ独自の世界を
独学でどこまで絵画が描ける?作品が作れる?と疑問に感じてる方はいると思います。私がここで出した結論では美大出身や美術の師がいた人と遜色もない作品が作れること。またその人なりの個性は独学であっても発揮されると言うものです。これを見て少しでもその疑問を解決させる事が出来たら幸いです。
画家イコール学校や人に師事して身に付けた人じゃない
美大に行かなくても才能があれば画家にはなれます。たとえば、アンリ・ルソーは仕事をしながら独学で絵を描き、有名な画家になりました。
また、北海道出身の三岸好太郎も独学で絵を学んだ人です
出典: careergarden.jp
絵画編
派時代に活躍した素朴派を代表するフランス人画家。魔術的とも比喩される夢想的で異国的な密林の情景や、都会の風景やその中に配した人物像などを描き、現在では同時代を代表する画家として広く知られている。
関税関連の仕事に従事していたアンリ・ルソー( 1844−1910)が、本格的な制作を始めたのは49歳でその仕事を引退してから。生涯にわたり取り組んだ作品のテーマは、 風景、肖像、寓意など、フランス・アカデミーにおける伝統的な絵画の主題と重なっている。しかし、独学で絵画を学んだ彼の作品には、素朴ながら独特の力強さがあり、ピカソなど若い前衛画家たちから大きな支持を得た。
「学ぶことに遅い」はないと言う言葉がありますが、49歳で始めたと聞くとその意味が実感できます。
生い立ち:彼はいわゆる美術学校などで専門の美術教育を受けていません。22年間税関で真面目に働き、49歳で画家に転身します。 とはいっても、突然絵筆をとったルソーに対して、世間の注目が集まるはずもなく、借金におわれながら苦しい制作を強いられます。
それでもコツコツと制作と発表を続けていた彼の、伝統にとらわれない新しい作風は前衛芸術家に次第に評価されるようになりました。
作風:独学で絵画の道に進んだため、影響を受けた師はおらず、 例えば遠近法などの専門技術も不得意であったといわれています。よく描いたモチーフは、身の回りのの風景や、ルソーの代名詞ともいえるジャングルの風景。また、登場人物たちはみな正面を向き動きがありません。 独特の色使いや、画面に丹念に精緻に描き込まれるモチーフも特徴的です。
不屈の人であるようです。
洋画家。札幌生。夫人は洋画家三岸節子。札幌第一中学卒業後上京。中央美術展・春陽会展に入選を重ね活躍。横堀角次郎らと麓人社を結成する。
出典: kotobank.jp
中学卒業と同時に状況、独学で絵を学び、1923年の春陽会第一回展で中央画壇にデビューします。 その後は、独立展設立(1930)に最年少で参加し、故郷である北海道の画壇の成長にも積極的でした。
道民のアート界のホープと言う感じなんですね。
現代アートを独学で学んだ者達
原田マハ
もともと好きだった現代アートの世界に目覚め、独学で現代アートについて学ぶ。この頃、資金も才能もないのに「ニューヨークへ留学>キャリアアップ」の妄想にかられる。
出典: haradamaha.com
原田 マハ(はらだ まは、女性、1962年7月14日 - )は、日本の小説家、キュレーター、カルチャーライター。東京都小平市生まれ。小学6年生から高校卒業まで岡山県岡山市育ち。岡山市立三門小学校、岡山市立石井中学校、山陽女子高等学校、関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史学専修卒業。マリムラ美術館、伊藤忠商事、森ビル、都市開発企業美術館準備室、ニューヨーク近代美術館に勤務後、2002年にフリーのキュレーターとして独立。
出典: ja.wikipedia.org
ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンはある日スイスの大邸宅に招かれる。そこで見たのは巨匠ルソーの名作「夢」に酷似した絵。持ち主は正しく真贋判定した者にこの絵を譲ると告げ、手がかりとなる謎の古書を読ませる。リミットは7日間。ライバルは日本人研究者・早川織絵。ルソーとピカソ、二人の天才がカンヴァスに籠めた想いとは――。山本周五郎賞受賞作。
上の文章は彼女の出版物の紹介文。独学で本を出せるぐらいまでになれると。
粟津潔
1929年、東京生まれ。グラフィック・デザイナー。55年、ポスター「海を返せ」で日宣美賞。60年、建築家たちと「メタボリズム」を結成。各種博覧会、博物館の基本計画設計、およびディレクション。前印刷博物館館長
出典: d.hatena.ne.jp