Joni Mitchell(ジョニ・ミッチェル)の徹底解説まとめ

Joni Mitchell(ジョニ・ミッチェル)とはカナダのシンガーソングライター。1968年、アルバム『ジョニ・ミッチェル』でデビューした。フォークロック、ジャズ、フュージョンなどをベースにし、恋愛や喜び、人の感情、社会的な理想が反映されている歌詞、変則チューニングでの演奏が特徴である。音楽の他には絵画も描いており、自身のアルバムジャケットもデザインしている。9つのグラミー賞、1997年にはロックンロールの殿堂入りを果たしている。

Joni Mitchell(ジョニ・ミッチェル)の概要

Joni Mitchell(ジョニ・ミッチェル)とはカナダのシンガーソングライターである。1964年にフォークミュージシャンとして活動を始め、1968年にアルバム『ジョニ・ミッチェル』でデビュー。女性ミュージシャンが主流ではなかった時代から彼女は評価を高め、その後は半世紀にわたり多くのアルバムをリリースしていく。幼少の患ったポリオ(急性灰白髄炎)の影響で握力が弱かったため、独自のチューニング方法を使い演奏している。その時々のパートナーや時代背景によって、音楽の方向性やサウンドが変わるアーティストでもある。音楽の他には絵画も描いており、自身のアルバムジャケットにも採用されている。その存在と作品は多くのミュージシャンに影響を与え、彼女に賛辞を送るアーティストも多数存在している。

Joni Mitchellの活動経歴

デビュー前(1964年〜1967年)

椅子に座って演奏するジョニ・ミッチェル

10代のころ、地元のカナダでフォークシンガーとして活動。フォークソングイベントやテレビ、ラジオにも出演する。
1964年、カナダ西部のオンタリオに移り住む。
1965年、マリポサ・フォークフェスティバルで初めて大勢の観客の前で演奏する。その後は教会や路上で演奏しながら、デパートの婦人服売り場で働く。
1965年4月、アメリカ人フォークシンガーであるチャールズ・スコット・チャック・ミッチェルと結婚。2人でアメリカに渡り、音楽活動を始める。デトロイトのアパートに住んでいた2人は地元のコーヒーハウスで定期的に演奏を行う。
1967年、チャック・ミッチェルとの離婚が成立し、音楽パートナーも解消となる。ソロ・アーティストとして音楽活動をするためにニューヨークへと移り住み、東海岸のコーヒーハウスやフォーク・クラブで演奏するようになる。このころから、ジョニ・ミッチェルの曲が他のフォークシンガーにカバーされるようになる。

リプリーズ・レコード期(1968年〜1971年)

ワイト島フェスティバルで演奏するジョニ

1968年、ミッチェルはフォークシンガーのトム・ラッシュ、バフィ・セントメリー、デイヴ・ヴァン・ロンク、ジュディ・コリンズに曲を提供する。その後、ミッチェルはリプリーズ・レコードと契約を果たす。同年の1968年3月、リプリーズからデビューアルバム『Song To A Seagull』(リリース時はJoni Mitchell)をリリース。続く1964年4月にセカンドアルバム『Clouds』をリリース。同2作品のLPジャケットはミッチェルがデザインしており、今後も度々ジャケットデザインを担当することになる。
1970年4月、3rdアルバム『Ladies of the Canyon』をリリース。全英8位を記録した。収録曲のすべてをミッチェルが作詞作曲し、アメリカで27位、イギリスでは8位を記録した。同年8月26日から30日に行われた「ワイト島フェスティバル」に出演。観客の一部が暴徒化してしまい何度か演奏は中断、異様な雰囲気の中演奏を終えた。後に彼女は「野獣の餌にされた」と語っている。1971年6月、4thアルバム『Blue』をリリース。アメリカで15位、イギリスで3位、カナダで8位を記録した。

アサイラム・レコード期(1972年〜1980年)

ジャコ・パストリアスとジョニ・ミッチェル

1972年、リプリーズ・レコードからアサイラム・レコードに移籍。同年11月、5rhアルバム『For the Roses』をリリース。アルバム収録曲の「恋するラジオ」がシングルカットされヒットした。
1974年1月、6thアルバム『Court and Spark』をリリース。アメリカで2位、カナで1位を記録した。1974年11月、ライブアルバム『Miles of Aisles』をリリース。この作品では、前作『Court and Spark』に参加したミュージシャンのライブ演奏が聴ける。
1975年11月、7thアルバム『The Hissing of Summer Lawns』をリリース。ジャズに影響を受けた作品になった。
1975年、ボブディランを中心に開催されたライブツアー、「ローリング・サンダー・レヴュー」に参加する。
1976年11月、8thアルバム『Hejira』をリリース。アメリカで13位、カナダで22位、イギリスで11位を記録した。同アルバムには、ジャズ・フュージョン系ミュージシャンのジャコ・パストリアス、ラリー・カールトン、トム・スコット、ニール・ヤングなどが参加している。
1977年12月13日、9thアルバム『Don Juan's Reckless Daughter』をリリース。 前回に引き続きジャズ、フュージョンに影響を受けた2枚組アルバムになった。
1979年6月、10thアルバム『Mingus』をリリース。このアルバムでもジャズ、フュージョン系ミュージシャンが参加しているが、特にジャコ・パストリアスの活躍が目立っている。
1980年9月、ライブアルバム『Shadows and Light』をリリース。このアルバムは、1979年9月にカリフォルニア州サンタ・バーバラ・ボウルで行われたライブ音源を収録。

ゲフィン・レコード期(1982年〜1991年)

エレキギターを演奏するジョニ

1982年、ゲフィン・レコードに移籍。同年10月、11thアルバム『 Wild Things Run Fast』をリリース。ジャズ・フュージョン路線からポップ路線になった最初のアルバムである。
1985年10月、12thスタジオアルバム『Dog Eat Dog』をリリース。ギターではなくキーボードに焦点を当てた数少ないアルバムになった。
1988年6月、13thスタジオアルバム『Chalk Mark in a Rain Storm』をリリース。ピーター・ガブリエル、ウィリー・ネルソン、トム・ペティなど豪華なアーティストが参加したアルバムになっている。
1991年2月、14thスタジオアルバム『Night Ride Home』をリリース。アコースティックギター中心に作られているが、初期に見られるようなフォークではなくロックサウンドになっている。

ワーナー・レコード〜ヒア・ミュージック期(1994年〜2007年)

ピアノをバックに歌うジョニ

1994年ワーナーレコードに移籍。同年10月、15thスタジオアルバム『Turbulent Indigo』をリリース。ポップアルバムオブ・ザ・イヤーのグラミー賞を受賞した。
1998年9月、16thアルバム『Taming the Tiger』をリリース。これまでのアルバムと違いゲストミュージシャンを最小限に抑え、ジョニ自身がエレキギターをプレイしている。
2000年2月、17thスタジオアルバム『Both Sides Now』をリリース。この作品はジャズミュージシャンをゲストに迎えてレコーディングされた、ジャズのカバー及びセルフカバーアルバムである。2つのグラミー賞とボーカルジャズアルバムオブザイヤーのジュノ賞を受賞した。
2002年8月、18thスタジオアルバム『Travelogue』をリリース。この作品は、ジョニの代表曲をオーケストラ編成で再録音した2枚組のアルバムになっている。
2007年ヒアミュージックに移籍。同年9月、19thスタジオアルバム『Shine』をリリース。前作同様に管楽器を使ったサウンドで、環境破壊や戦争をテーマにしたメッセージ性の強いアルバムになった。

Joni Mitchell(ジョニ・ミッチェル)のプロフィール・人物像

1943年11月7日生まれ、カナダのアルバート州出身。 本名はロバータ・ジョーン・アンダーソン。1960年代から多くの楽曲を残したシンガーソングライターであり、画家でもある。作詞作曲、ボーカル、ギター、ピアノ、ウクレレ、アパラチアン・ダルシマー、オートハープまで幅広い楽器をこなす。9歳のときにポリオに感染し、左手の握力が弱くなった。そのため、握力を補うために独自のギターチューニングを使っている。

Joni Mitchellのディスコグラフィー

シングル、EP

Night In The City

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